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長崎 |
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長崎港 元亀2年(1571)のポルトガル船来航以来、西洋文化の影響を色濃く 受けた港町。 教会や洋館、石畳の坂道など、街中に異国情緒が溢れている。 「ちゃんぽん」「しっぽく料理など、ここならではの味覚が楽しめる。 |
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稲佐山 長崎港を挟み、長崎駅やオランダ坂等の市街地と向き合うようにそびえる 稲佐山は、標高332m山頂の展望台からの眺望は1000万ドルの夜景。 |
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グラバー園 長崎港を見下ろす南山手の高台にあるグラバー園は、、1859年に来日した イギリスの貿易商トーマス・グラバーの旧宅を中心に、明治時代の洋館が 敷地面積約3万uの園内に集められている。 |
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オランダ坂 多くの外国人が東山手に住み、坂を上り下りしていた坂道を「オランダ坂」 と言う名で呼ばれるようになったという。 ゆるやかなカーブを描く石畳も、しっとり濡れた雨の日は一段と風情がある。 |
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めがね橋 中島川に架かる石橋群。 昭和57年の大水害で被害を受けた、日本最古のアーチ式石橋「眼鏡橋」 も修復され、川面に往時の姿を映している。 |
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大浦天主堂 国宝に指定されている日本最古の天主堂。、 殉教を遂げた26聖人の霊を祀り、殉教地西坂に面して建てられている。 ステンドグラスの美しさで知られている。 |
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日本二十六聖人殉教地 豊臣秀吉の切支丹禁教令が出された10年後の慶長2年(1597)、6名の 外国人宣教師と20人の日本人信徒、計26人のキリスト教徒が西坂のこの 地ではりつけにされた。 受刑者の中には12歳〜14歳の少年殉教者もいた。 |
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浦上天主堂 明治維新後、信仰の自由を得た浦上地区の信者達によって大正3年 (1914)完成させた、東洋一の大聖堂。 昭和20年の原爆で一瞬のうちに全壊したが、昭和34年(1959)に再建され アンジェラスの鐘が今も浦上の街に音を響かせる。 |
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平和公園 昭和20年8月9日午前11時2分、長崎の上空に原子爆弾が投下され、 一瞬にして7万5000人の命が奪われ、今も長崎に深い傷跡を残している。 原爆落下中心地の平和公園内には平和祈念像、平和の泉、平和の鐘 などがある。 祈念像は昭和30年8月に完成した。島原出身の北村西望の作 右手は天を指して原爆の脅威、左手は水平に伸ばして世界の永遠なる 平和を願っている。目は軽く閉じて犠牲者の冥福を祈っている。 |
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雲仙温泉 明治時代長崎に近いことから、避暑地として外国人が訪れた西の軽井沢。 良質な温泉と冬は霧氷、春はミヤマキリシマの群落を楽しむことが出来る。 |
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雲仙地獄 お糸地獄、清七地獄、等名付けられた地獄があり水蒸気が噴出している。 拷問で熱湯を浴びせられた、キリシタン迫害の場でもあった。 NHKラジオ「君の名は」の映画化で、この地でロケがあり記念碑がある。 |
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普賢岳 平成2年、雲仙普賢岳が噴火しその後誕生した溶岩ドームは、平成新山と 呼ばれ観光道路「島原まゆやまロード」からは、溶岩ドームや火砕流が下った跡を間近に見ること出来る。 |
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島原城 元和2年(1616)松倉重政が7年をかけて築城、別名「森岳城」昭和39年 復元、後に重税とキリシタン弾圧の中心になった。 |
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武家屋敷跡 島原城の西、石塀が続く武家屋敷跡には今も湧水の水路がある。 島原藩の下級武士の屋敷があった跡、山本邸は家の中を公開している。 |
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熊本港〜島原港フェリー 多くの「ゆりかもめ」が乗船客から餌をもらうためフェリーを追う。 (季節限定) |
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観光スポットへ | ![]() |
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